『あとを歩く』
その日、ゼルネアスは明るく空気の澄んだ森の中で、木漏れ日を浴びながら静かに目を閉じていた。
だがその平穏は、背後から忍び寄る落ち着かない「音」によって、ほどなく破られる。
ガサッ、と乾いた葉が擦れる音。
続いて、慌てたように震える羽音。
ゼルネアスが薄く目を開けると、数メートル後ろの木陰から、イベルタルがじっとこちらを覗き込んでいた。
視線が合った瞬間、彼はびくりと肩を揺らし、慌てて目を逸らす。
「……何の用ですか。言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうです?」
「あ、いや……なんでもなくて……。その……」
イベルタルは爪先で自分の翼を弄びながら、しどろもどろに言葉を探す。
本当は、ただ彼女の隣に行きたいだけだ。
だが理由もなく近づいて「邪魔だ」と切り捨てられるのが怖くて、どうしても一歩が踏み出せない。
結局、彼は彼女の周囲を、つかず離れずの距離でうろうろと彷徨い始めた。
「……」
ゼルネアスが歩き出せば、三歩遅れてついてくる。
彼女が涼を求めて泉へ向かえば、物陰から、瞬きも忘れたようにその姿を見つめる。
そして、ふいに振り返られれば、彫像のようにその場で固まる。
ゼルネアスは感情の揺らぎを、顔にも仕草にも表さない。
不快でも愉快でもなく、ただ鏡のような瞳が静かにイベルタルを映している。その無機質な在り方が、彼をますます追い詰めた。
「……イベルタル。わたくしをからかっているのですか?」
「ち、ちがう……!
ただゼルネアスさんが、どこか遠く行っちゃいそうで……」
「馬鹿げた事を。貴方に心配される筋合いはありません」
冷ややかな言葉を投げられる。
それでもイベルタルの胸には、奇妙な熱が灯った。
その言葉が、確かに自分だけに向けられている、その事実だけで、心の奥が疼く。
理由はわからない。
彼女が視界に入るだけで頭の中は白くなり、鼓動だけがやけに大きく、耳の奥で鳴り続ける。
「……目障りです。そこに座っていなさい。一歩でも動けば、その翼を二度と開けないよう縛り上げますよ」
その声に、イベルタルは弾かれたように何度もこくこくと頷いた。
吸い寄せられるようにその場へ座り込み、今度は一言も発さない。
石像のように身じろぎひとつせず、ただ潤んだ瞳だけで、彼女の背中を追い続ける。
ゼルネアスはそれを意にも留めず、再び背を向けた。
その立ち姿は凛として揺るぎなく、感情の影は一切読み取れない。
静寂が二人を包む。
その中で、イベルタルの胸の鼓動だけが、本人も気づかぬほど速く、熱を帯びて刻まれていた。