『花の記録』
イベルタルには、どうしても解せないことがあった。
森の主人たるゼルネアスが、時折、何も告げずふいと姿を消すことがあるのだ。
その隠密な行動の先に何があるのか。
抑えきれない好奇心に突き動かされ、彼はある日、こっそりと彼女の後をつけてみることにした。
たどり着いたのは、森の最果てに佇む巨大な古木だった。
ゼルネアスは迷いのない足取りでその暗い洞へと入り、しばらくの時を過ごすと、何事もなかったかのような顔で再び現れ、静かに去っていった。
彼女の姿が完全に見えなくなったのを見計らい、イベルタルは独り、その「穴」の中へと踏み込む。
「わあ……なんだ、ここ」
内部は驚くほど広く、がらんとした空洞になっていた。
朽ちた大樹の隙間からは所々に淡い陽光が差し込み、宙を舞う埃をきらきらと照らしている。
外界から切り離されたかのような、ひやりと静まり返った空間だった。
異様だったのは、壁面を埋め尽くす銀色の根だ。
木の内部だというのに、それらは生き物のように脈打ちながら蔓延っている。その独特の色味と、そこから漂う生命力の気配からして、ゼルネアスの仕業であることは明白だった。
よく見れば、その根の表面から見たこともない花が一輪、ひっそりと咲いている。
いや、一輪だけではない。
さまざまな形、色の花が、等間隔に、不自然なほど整然と並んで咲いている。それは洞の上の方まで、きれいに整列したまま続いていた。
「花が、木の根っこから生えてる……?」
その生態を無視した光景に呆然としていたとき、
背後から静かな声が響いた。
「見つかってしまいましたね」
ビクッと、イベルタルの体が強張る。
「あ……ゼルネアスさん……」
振り返ると、入口の影に彼女が立っていた。
射抜くような視線が、彼を捉えて離さない。
「わたくしの聖域に立ち入るなんて」
「あのっ ご、ごめ……」
「まあ、お仕置きは後回しにしてあげます」
ゼルネアスは彼を通り過ぎると、表情の読めないまま、高く聳える壁面を見上げた。
「ここは絶滅した花を集めた場所。
標本室……あるいは図書館とでも言いましょうか。
大地の記憶を頼りに、滅んでしまった花々を、わたくしの力で再現しています」
「へぇ……。でも何のために?」
イベルタルは少しわくわくした様子で彼女の横顔を覗き見ると、彼女の目が僅かに細められた。
「わたくしは花々を愛しています。
出来るなら、全てを識り、全てを残したい」
彼女はそこで言葉を切り、静かに首を振る。
「……いえ」
瞳に、ぎらりとした色が宿る。
次の瞬間、銀の根が波打つように蠢き、イベルタルの身体を絡め取った。
そのまま乱暴に壁へと縫い付けられ、肺を圧迫される。
至近距離で、彼女の瞳が爛々と輝いていた。
「本来死すべきモノに命を与え愛でるなんて、
自然の摂理への叛逆だと思いませんか?
……とても心躍る」
「ゼルネアスさん……?」
眼前に迫る主の、底知れない支配欲に、イベルタルは困惑し息を呑んだ。
だが、彼女はそれ以上は何もせず、不意に根の暴走を鎮めると、彼を床へと落とした。
「……少し話過ぎましたね。
行きましょう。アレに見つかると厄介です」
彼女は再び何事もなかったかのように背を向け、歩き出す。
イベルタルは立ち上がり、その迷いのない背中をただ追い続けた。
ーーおれ……ゼルネアスさんのこと、何でもわかってるつもりだった。
それでも、おれはゼルネアスさんについていくよ。
最後まで、ずっと。