『枷』
リュウラセンの塔、その一室。
白を基調とした部屋には、アンティーク調の家具と、どこから持ち込まれたのかも分からない骨董品が並んでいる。
丸いテーブルに肘をついて、ゼクロムが暇そうに座っていた。
耳にかけられた派手なヘッドホンから、シャカシャカと微かな電子音が漏れている。この部屋の静けさには、あまりに似つかわしくない。
レシラムはそんなゼクロムに呆れたような視線を向け、彼の目の前に紅茶を置いた。
磁器のカップから立ち上るのは、高価な茶葉の香り。
だが、その価値が彼に分かるはずもないことを、レシラムは知っている。
「なんか……お前がこうして色々振舞ってくれるなんて、珍しいな」
ゼクロムが小さく欠伸をして首を傾げる。
その動きに合わせて、ヘッドホンが重そうに揺れた。
レシラムは答えず、自身のカップを手に取る。
伏せがちに湯気の向こうを見つめたまま、静かに口を開いた。
「話がある」
その声が、部屋の空気をわずかに震わせる。
ゼクロムの手が止まった。
「話?」
怪訝そうに、レシラムの横顔を覗き込む。
テーブルには、小さめのケーキが置かれている。
白く繊細で、どこまでも品の良い佇まい。
ゼクロムはそれを眺めながら、また小洒落たものを……とフォークでその柔らかな側面をつんつんと雑につついた。
「何だよ話って」
痺れを切らしたような問い。
レシラムは向かいの椅子に腰を落とし、しばし沈黙する。
窓から差し込む光が、空気中の埃を白く浮かび上がらせた。
その静けさの中で、ようやく重く口を開く。
「キュレムに会った」
「ふーん……」
ゼクロムは聞き流すように紅茶を啜ろうとする。
だが、数秒遅れて言葉が脳に届いた。
次の瞬間、喉を通りかけた紅茶を派手に吹き出す。
「マジかよ!!」
椅子を鳴らして身を乗り出し、机に両手を突く。
使い古された木製の椅子が、床と擦れて鋭い音を立てた。
「もちろん干渉はしていない」
散った飛沫をひと睨みし、レシラムは心底不快そうに小さく鼻先を鳴らす。
ゼクロムはバツが悪そうに視線を逸らし、気だるい様子を装って椅子に深く座り直した。
「……キューちゃん元気だった?」
目線を下げ、再び肘をついて紅茶を飲む。
カップの縁で、彼の視線は揺れていた。
「相変わらず危ういな。アレは」
レシラムは、何かを思案するように目を伏せるゼクロムの瞳を、じっと見据える。
「ただ……穴から外に出ていた」
「あのキュレムが?
そりゃ驚きだな。いいことでもあったのかねぇ」
ゼクロムはケーキを漫然と口に運ぶ。
結構美味いな……などと考えながら、咀嚼の合間に小さく息を漏らした。
「何があったかは知る由も無いが、
お前も気をつけた方がいい」
レシラムもまた、紅茶の香りを確かめるように、細く白い爪先でカップを傾ける。
「そーね」
適当な返事。
ゼクロムは行儀悪く頭をがしがしと掻き、重いため息を一つついた。
首にかけていたヘッドホンを外し、テーブルに置く。
そして、レシラムをまっすぐ見据える。
「でもさ、いつまでもあいつをほっとく訳にもいかねーだろ」
声のトーンが、はっきりと変わった。
「今更何を言う。
そこまでして関わる必要など無いだろう?」
レシラムはカップをソーサーに戻し、彼を射抜くように睨む。
磁器同士が触れ合う、乾いた音が響いた。
その音を境に、二人の間の空気がぴんと張り詰める。
「そりゃそうなんだけどさ……
これじゃあ結局逃げてるだけなんだよ、俺たち」
ゼクロムは真っ向から視線を受け止め、言葉を継いだ。
「そろそろ落とし前つけるべきなんじゃねーの。
俺らはキュレムを置いて自由にはなれない」
「まるで我々に枷がついているかのような物言いだな」
吐き捨てるように言い、眉間に深い皺を寄せる。
「そう、枷だよ。
俺らがどこに逃げようとも、この枷は外れねーよ」
ゼクロムは視線を落とし、自分の大きな手を見つめた。
感情の昂ぶりに呼応するように、指先で微かな電気がパチリと弾ける。
「……馬鹿馬鹿しい。
まさか話が通じるとでも?」
レシラムは不満を滲ませながら、彼の空になったカップに紅茶を注ぎ足す。
丁寧な動作とは裏腹に、ポットの先はわずかに震えていた。
「アイツは心は脆いが優しい奴だ。いつか分かってくれるだろ」
ゼクロムは注がれたばかりの紅茶を見下ろす。
琥珀色の水面が、緊張を映して微かに波紋を描いた。
「理想ばかり語るな。
以前あれだけの事をされたのだぞ」
怒気を含んだ声。
ティーポットが置かれる硬い音が、部屋に鋭く響く。
レシラムはそのまま手元を見つめ、視線を上げなかった。
「……それでもだよ。俺らがキュレムを信じてやらなきゃ。
拒絶するのには、きっと理由がある。
だから……会いに行ってみないか?」
ゼクロムの言葉に、レシラムは一瞬言葉を失う。
やがて耐えきれないように、視線を伏せた。
「……私は行かない。
お前一人で行くといい」
「おい!
お前はそうやってまたキュレムを避けるのか?
他に誰が歩み寄ってやれるって言うんだ。あいつは今も独りで泣いてる!」
「そんなことはわかっている!!!!」
机が激しく叩かれる。
衝撃で食器が滑り落ち、床で無残に砕け散った。
静寂。
荒い呼吸だけが、部屋に残る。
「……お前なら、もしかしたらキュレムを救ってやれるかもしれない。
だが私では駄目だ。
きっとキュレムは、私には心を開かない」
レシラムは深く息を吐き、冷静さを取り戻していく。
乱れた毛髪をかき上げながら、床に散らばった皿を拾い始めた。
「バーカ」
すぐ傍で、低い声。
ゼクロムは同じ目線になるようにしゃがみ込み、顔を合わせた。
「仲直りは三人でしなきゃ意味ねーだろ。
大丈夫だって、俺もついてる。
な!」
白い額を軽く小突き、意地悪そうに笑う。
レシラムは不機嫌そうに、その手を振り払った。
「……大した自信だな。何か考えでもあるのか?」
「考え? んなもんねーよ。
こうやってみんなで一緒に茶でも飲めば、打ち解けられるだろ」
そのあまりの楽観的さに、レシラムは今日一番の深い溜息をつく。
「バカはお前だ。そんな考えなしでうまく行くものか」
「あ?」
少しムッとしながらも、その声は明るい。
「お前は難しく考え過ぎなんだって」
逆光の中で笑うゼクロムを見て、レシラムは思わず目を細めた。
ーー愚かしい程のお人好し。
現実はそんなに甘くはないだろうに。
「……一度だけだ」
「ん?」
「一度なら……お前のその無謀な理想に乗ってやってもいい。
お前となら、この枷が壊せる気がする」
レシラムはゼクロムを真っ直ぐに見据え、言い捨てた。
足元の割れた磁器の破片が、窓からの光を反射して、二人の間で鈍く光っていた。